77年石川セリの曲。後に高樹澪でもヒットしました。
石川セリはその後、陽水の嫁に。
中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」も陽水作ですね。
次は陽水のライバル吉田拓郎で。
1976年桜たまこさんのシングル
1961年ヒットした東京ドトンパ娘のリメイク的な曲で
スマッシュヒット。
あとは小柳ルミ子さんが70年代後半からさほどヒットを飛ばさせなかったが
83年久しぶりにヒットさせた「お久しぶりね」などもありました。
次は井上陽水さん
アン・ルイスさんの1982年のシングルです。
沢田研二さんの提供曲では最大のヒットのようです。
ラスト近くですが、参加させてもらいました。
次は杉本眞人さんでお願いします。
70年代後半から81年半活動した
5人のアイドルバンドグループのレイジーのシングル
レイジーは81年それぞれの音楽をやりたいと解散
高橋晃さんと樋口宗孝さん 田中宏幸さんはアメリカでも人気がでたロックバンド
ラウドネスで活動。影山ヒロノブさんはアニソンシンガーでブレイク
1998年再結成しましたが、2006年田中宏幸さん、2008年樋口宗孝さんが亡くなり
現在は3人で限定的な活動。
次はジュリーこと沢田研二さん
本当はTOKIOとか危険な二人など出すべきでしたが
逆にジュリーが他の人に提供した曲をお願いします。
加瀬邦彦さんが作曲した曲をリンクで貼っておりますが
これは80年代のマイナーな曲ばかりですが
中井貴一さんのデビュー曲、真田広之さん もうすぐ刑期が終わり出所する方
大物俳優と結婚しますが、残念ながら自ら命を絶ってしまった方など
かなり豊富です。(中井貴一さんのデビュー曲は結構よかった記憶があります)
77年しばたはつみのヒット曲。
マツダコスモのCMソングで広く認知されしばたにとっても初の
ヒットとなり紅白にも出場した。
来生姉弟にとっても他人の曲では初のヒット曲でしょう。
※次は加瀬邦彦で。
布施明さんの1975年のレコ大受賞曲
俺たちの旅もと思ったけど、中村雅俊さんの楽曲でていたので
(同じ歌手からNG指定はないですが)こちらで
セルフカバーもあります。
次は「中島みゆき」さん
※29最初は次は服部三親子としましたが
延長されたので良一さんにしました。
あと二人は別にだせるようにしました。
49年高峰秀子nシングル、
映画主題歌でもあり大ヒットになった。
子供心ながらに服部良一は当時の他の作曲家に比べて
モダンな曲作るなあと思ってました。
次は小椋佳で。
あややの3枚目のシングルで
2001年紅白初出場でトップバッター
最後のピン女性アイドルと言われてます。
つんく♂さんといえばモーニング娘や他のハロプロなどもありますが、
今年から限定的を9年ぶりに再開したあややにしました。
4月よりネスレのCMに出演
つんく♂さんは作曲家売上6位で一番売れたのはLOVEマシーン
なお1位から4位まですべてでてますが、5位の方は自身の楽曲が多く
人には提供ほぼしてないので、ほぼ売上上位の方は出尽くしました。
次は服部良一さん
青春ドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌です。
これを含め、一連の日本テレビ/東宝製作の青春ドラマ(「青春とはなんだ」~「われら青春!」)の主題歌は全部いずみたく作曲です。
次は山本直純でお願いします。
沢山いろいろあって迷いましたが
ユーミンが呉田軽穂のペンネームで
聖子に最初に提供した曲をあげます。
この曲を境に女性のファンの比率が
ぐぐっと上がりました。
聖子には他にも良い曲を数多く提供してます。
あと荒井由実時代だったら
バンバンの「『いちご白書』をもう一度」、
松任谷由実なら原田知世の
「時をかける少女」、
「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」など。
他人に作った曲でしたら代表的にこんな感じで。
次は「桑田佳祐」でお願いします。
☆まだ「30」まで続きます☆
天地真理やアグネス・チャンの一連のヒット曲で有名な人ですが、
72年の和田アキ子のこの曲もそうでした。
発売時はあまり売れなかったですが、レコ大の最優秀歌唱賞を取ってから
じわじわと売れ和田アキ子の代表曲となりました。
次は小林亜星でお願いします。
児嶋未散さんの1990年のシングル
シャンプーのCMソングでヒット
この間亡くなった宝田明さんの娘です
西城秀樹さんの全盛期の曲からが妥当でしたが
次は「森田公一」さん
トップギャランで活動してましたが、
作曲家としてたくさん提供
スタ誕の審査員も務めました。
めぞん一刻のファーストOP
斉藤由貴さん
ミュージックフェアで共演してます。
後は中森明菜さんのサザンウインド 香西かおりさんの無言坂
V6の愛なんだ など
次は小田裕一郎さん
麻倉未稀の「ミスティトワイライト」か「ルパン三世のテーマ」にしようかと
思いましたが、「犬神家の一族」のこの名曲で。
ということで禍大蛇さんインストOK。大野克夫が出てれば「太陽にほえろのテーマ」
と答えたでしょう。
かぶりました。
1985年のスーパー戦隊シリーズの主題歌およびエンディング「NEVER STOPチェンジマン」の作曲を担当。
次は大野雄二で。
※このお題の回答はインストでもいいのですか?
86年渡辺美里のシングル曲。
テレビドラマの主題歌にもなり大ヒット。
彼女の名も一躍有名にした。
小室が人のために作曲し、ヒットさせたのはこれが初めてではないでしょうか?
次は大野克夫でお願いします。
1992年中山美穂&WANDS
ミポリンで一番売れた曲で、WANDSがこれで知名度をあげました。
織田哲郎さんは90年代ビーイング関係の作曲を担当し
歴代作曲家売上ランクの5位になります。
一番売れた曲で2位がZARDの負けないで 3位がおどるポンポコリン
あとは相川七瀬さんへの提供。90年代はすごかったですね。
2000年スペインで強盗みたいなのに襲われ
そのときに声帯をつぶし、高い声が出なくなってしまったんですね。
次は「飛鳥涼」さん まあいろいろやらかしてしまいましたが
結構曲を提供しております。
71年小柳ルミ子のデビュー曲。
この年はまた逢う日まで(尾崎紀世彦)17歳(南沙織)さらば恋人(堺正章)=作曲:筒美京平
知床旅情(加藤登紀子)花嫁(はしだのりひことクライマックス)=作曲:ともに本人
など大ヒットが目白押しでしたが、よこはまたそがれ(五木ひろし)=作曲:平尾昌晃
とともに特大ヒット。なんと12週間連続一位でトリプルミリオンに近い売り上げを上げた。
作曲家:平尾昌晃の今後を決定づけた名曲でした。
ほかに「カナダからの手紙」の大ヒットもありましたがこちらはこれは本人歌唱でした。
次は織田哲郎でお願いします。
ピンクレディは阿久悠さんとのコンビでたくさん輩出
一番売れたこれで
あとは狙いうちなど
スタ誕の審査員など
一時期芸能プロを経営し、南野陽子さんを輩出
しかし彼女が抜けてから事務所は倒産
最近は紅白の指揮者 文化庁長官など
次は「大滝詠一」さんで(また故人)
79年松原みきのヒット曲。
当時もそれなりに流行りましたが、大ヒットとはいかなかった。
しかし40年も経った今頃YouTubeなどの影響で東南アジアやヨーロッパで大ヒットしてるようです。
歌った松原みきは残念ながら故人ですが作った林哲司は「僕が一番びっくりしている」
と言ってましたね。
他に「君のハートはマリンブルー」「悲しい色やね」なども作ってます。
次は都倉俊一で
1975年太田裕美さん
なお筒美京平さんの中では売上6位
1位は魅せられて
ジャニーズにもマッチ、KINKI TOKIOなどに提供しています。
しかし聖子さんや明菜さんには提供してませんね。
2010年代でも人気声優竹達彩奈さんなども提供してました。
次は昨年亡くなった「すぎやまこういちさん」
※名指導者ご参加いただいた方ありがとうございました。
ノムさん 星野仙一さんも性格難ありと書かれてましたが
出してもOKでした。
本当はもっとストックありましたが、スポーツだと得意の方が
少なめなので延長は断念しました。
あと野球では井口千葉ロッテマーリンズ監督が佐々木郎希投手を
どうこれから育てていくか気になるところです。
※改めてオシム氏のご冥福をお祈りいたします。
追悼試合が企画されているようです。
76年山口百恵の大ヒット曲。
作曲はダウンタウンブギウギバンドのリーダーだった宇崎竜童。
♪これっきりこれっきりもう~で始まるこの曲は百恵のそれまでのイメージを変え
アイドルからスターになった転換曲でした。
その後「イミテーションゴールド」「プレイバックパート2」「さよならの向こう側」など
百恵の代表曲を次々に連作。宇崎も高田みづえや内藤やすこの曲などでヒットを重ね
人気作曲家となりました。
次は多すぎて困ると思いますが筒美京平でお願いします。
久しぶりに鬼シリーズです。
今回は日本の大衆音楽の作曲家でいきます。最近は有名な職業作曲家が
居なくなったので昭和時代がメインになろうかと思いますが、時代にはこだわりません。
タイトル欄には代表曲をあげてください。本文にその他の曲などをあげてください。
回答した人が次の作曲家を指名してください。
シンガーソングライターの場合は他人に作った曲をあげてください。
NBAの経験はありませんが、日本のバスケットリーグなのでプレー
2011年から女子バスケENEOSサンフラワーズのコーチ、ヘッドコーチを務め
2017年から日本代表女子チームヘッドコーチ
2018年W杯9位 そして昨年の東京五輪女子バスケを銀メダルへ導いた。
欧米より背が低い日本の戦術を3ポイントシュートなど日本にあった戦術を見出した。
そして昨年より男子代表のヘッドコーチ
男子は女子より世界の壁が厚いが期待はしてしまいます。
社会人バレーのニチボー貝塚を率い、その選手たちが中心となった64年の東京オリンピックでは日本代表監督として「東洋の魔女」を金メダルに導きました。
その指導法はパワハラ、しごきに満ちた徹底したスパルタで、現在だったら完全にアウトです。しかしそれで最良の結果を出したため美談としてもてはやされ、「スポ根」のドラマや漫画がブームとなるきっかけを作りました。どんなに過激なスパルタ描写も、この人という現実の先行者がいるので、説得力をもって受け入れられていました。
「俺について来い」の名言は流行語にもなりました。
フランス出身で各国でサッカー指導者として活躍します。
結構規律がきびしく軋轢を生むタイプであり、日本代表監督の時も
サッカー協会ともめたり、サポーターとももめましたが
W杯にて日本を初めて決勝トーナメント進出という結果をだしました。
他にもU20選手権ではFIFA国際大会で初めて日本が決勝に進出させる。
戦術的にはフラット3を取り入れ効率的に攻守を切り替えこれが日本にはまった感じ。
人格的は?な部分はありますが、日本代表時代は結果で黙らせた感じです。
2002年代表だった松田直樹選手が若くして亡くなったとき海外から葬儀に駆け付けた
意外に情が厚い部分も見せました。
漫画「エースをねらえ!」より。
1.絶命する時の”岡、エースをねらえ!”をはじめ名言は多く、
2.スポーツ以外にも恋をしているひろみに教えなどを説き、
3.素人同然だったひろみの実力をアップさせ、
4.鬼コーチとして有無をいわさぬ迫力のカリスマ性を持ち、
5.ひろみの力を世界に通じるよう伸ばしつつ
6.対戦相手の弱点を見抜く戦術に長けており、
7.ひろみの調子を引き出すことにおき彼女をうまく乗せる。
と、大体どれにも該当するテニスの素晴らしい指導者です。
アニメ化・実写化もされました。